2002年4月5日金曜日

〔再録〕fj.books における楽しいお話。荷風の小説『来訪者』について、随筆『日和下駄』 についてなどなど

2002.4.5
fj.books における楽しいお話。荷風の小説『来訪者』について、随筆『日和下駄』
についてなどなど。新たな発見がいくつもありました。
永井荷風
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) 永井荷風
グループ(Newsgroups) fj.books
投稿日(Date) Sat, 29 Sep 2001 23:03:54 +0900
記事ID(Message-ID)
所属(Organization) Tokyo Metallic Communications Corp. -----------------------------------------------------------------------
<japan.life.seniorに書いたものだけど、こちらの方が適当なようなので>
吾輩が隠棲する余丁町というところは、新宿の街外れにしては開発が遅れた、やや雑
然とした街で、別段とり立てて自慢するほどのものはなにもないのですが、敢えてひ
とつだけあげるとすれば、この街にふたりの明治の文人が住んだことでしょうか。坪
内逍遙と永井荷風がそうです。
このうち坪内逍遙宅跡についてはすっと前から東京都教育委員会による看板表示があ
るのですが、荷風については長らく無視されており、その旧居跡を示す表示は余丁町
のどこにもありませんでした。ところが先週ようやく「永井荷風旧居跡」との立て札
が余丁町通りに建てられたのです。逍遙に遅れること実に十数年。でも熱狂的「荷風
ファン」を自認する吾輩にとってはまことに喜ばしいことで皆様にご報告したいと思
います。(教育委員会のえらい人は荷風なんて嫌いだったのでしょうね。「教育的で
はない」ということかな)
荷風が好きな人は、ほとんど例外なく年輩者。しかも男性と言われています。吾輩も
それを信じていたのですが、この前荷風について詳しい川本三郎の講演を聴きに行っ
たとき、聴衆に若い女性が結構多かったのには驚きました。最近荷風を見直す傾向が
顕著になっていますが、年輩者ばかりでなく若い女性にも理解されるようになってい
るらしい。まさに「後生畏るべし」ですね。(もっとも、日本近代文学の三本の柱は、
鴎外、漱石、それに「荷風」であると喝破した赤瀬雅子という比較文学の先生は女性
です。何事にも例外はあります)
でも、若い女性に理解者が広がったとしてもシニア世代にとっての荷風の魅力が減る
ものではありません。今度岩波から荷風の日記『断腸亭日乗』が改めて発刊されるの
も隠然たるファンが多いことを物語っています。ともあれ、徒然なるままに荷風散人
の文章にひねもす陶然と酔いしれるのは、吾輩の至福の暇つぶしであり、生活そのも
のとなっているのです。
すこし荷風について話しませんか。
--
余丁町散人 naoyuki_hashimoto@mac.com



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Re: 永井荷風
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) Re: 永井荷風
グループ(Newsgroups) fj.books
投稿日(Date) Wed, 07 Nov 2001 14:06:11 +0900
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MUTO,Masa at muto-masa@nospam.nifty.com wrote on 2001.11.7 2:22 AM:
> いいですね。のんびりと荷風の話。乗ります。
HISADOME, Kenji at hisadome@lares.dti.ne.jp wrote on 2001.11.7 7:15 AM:
> 「来訪者」なんていかがでしょう?
> # モデルとなった平井呈一にも興味が有るので。
こんにちは。二人も荷風が好きな人が現れてうれしいな。愚生も荷風が大好きなので
す。ゆーっくり、ぼーつぼつ、のんびりとやりましょう。
さっそく『来訪者』読み返してみました。いままで、なにか人を中傷するために書か
れた筆誅の書という印象を持っていたのですが、素直に読んでみると作品として結構
面白いですね。しっとりとした風景描写もあるし。白井(平井程一)なんか、むしろ
好意的に書かれているような感じすらしました。荷風だって恒産がなければ白井や木
場(猪場毅)みたいな生き方をしたんだろうな、と荷風が思っている節が感じられる。
木場(猪場毅)のその後については、松本哉が奥さんとか息子さんにインタビューし
て彼のその後を詳しく書いており(『永井荷風の東京空間』)、どうなったかわかる
のですが、平井程一についてはその後どうなったんでしょうね。秋庭太郎も「わから
なくなった」って書いているし(『永井荷風伝』)。鏡花みたいな作品でも書いたの
でしょうか? それにしても HISADOME さんはどうして平井に興味があるのですか。
『来訪者』に戻りますが、荷風が「お化け」に興味があったのは浅学にして知らなかっ
た。これも面白いテーマですね。また素人(隣の奥さん)相手の不倫というテーマも
荷風にとって未知の領域だったはずだし、どこからネタを仕入れたのだろう? いろ
いろ興味が尽きない。
--
余丁町散人 naoyuki_hashimoto@mac.com
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Re: 来訪者
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) Re: 来訪者
グループ(Newsgroups) fj.books
投稿日(Date) Thu, 08 Nov 2001 12:27:55 +0900
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MUTO,Masa at muto-masa@nospam.nifty.com wrote on 2001.11.7 5:26 PM:
> 『来訪者』ですね。了解しました。
> いま手元にないので、四五日待ってください。
一応、粗筋なんか紹介しておきます。岩波の荷風全集の第18巻にありますが、マイ
ナーな作品なので読んでいる人は少ないと思うので。
荷風の昭和19年の作品。発表は戦後の21年。たしか偏奇館が炎上して荷風が岡山
に逃げるときもこの原稿を大事に持って行った筈。それを谷崎潤一郎に預けたのだっ
たかしら。
荷風の身辺に起こった事件を話すとして書いているのでスタイルは随筆みたいだけど、
その中で探偵が調べた報告書を紹介する形でだんだん小説みたいになっていく。最後
はまた荷風本人の話に戻る。入れ子(ネスティング)構造。
起こった事件とは荷風が若い友人に騙されて自分の作品を無断で売られたり偽造され
たという被害のこと。その時荷風は60を過ぎており当時の文壇(商業主義)をひど
く憎み付き合わなかったのだけれど、たまたま三十四五歳の白井と木場という二人の
文学青年と知り合う。彼らは若いけれど実に荷風好みの趣味をもっており荷風に取り
入ってしまう。「木場は或日蜀山人の狂歌で、画賛や書幅等にみられるものの中、・・
・・これを編集したいと言い、白井は・・・・高畠転々堂主人の伝をつくりたいと言っ
て、わたくしを驚喜させた」云々。荷風は「ともに語る友を持てて」本当に嬉しかっ
たんですね。すっかり信頼して手書きの原稿などを預けたりするのだけど、そのうち
無断で原稿を使われたり、偽造されていたことに気が付く。
荷風は怒って探偵に二人の素行を調べさせる。その報告書をもとに白井がどんな生活
を送っているのかを荷風が小説風に物語る。白井というのは才能はあるのだけど怠け
者で働かないで女房に食わせて貰っている。そのうち隣に住む大家さんの未亡人と関
係が出来てしまい、女房に逃げられる。ところがこの未亡人はたいへん淫乱で悋気も
ちで最後は白井も大変な目に遭ってしまうというお話。でも白井の怠け者ぶりは荷風
の若い頃に似てませんかな。
最後は、荷風が、あの二人はその後さっぱり寄りつかなくなった。たぶん「召集か徴
用でもされて、偽書をつくる暇がないようになったのだろう」というところでお終い。
この木場というのが猪場毅、白井というのが平井程一というそれぞれ実在の人がモデ
ル。特に平井は、荷風が死んだ後の版権の処理は平井に任すと書き残したほど荷風の
信頼を得ていた人。それだけに荷風は悔しかったのでしょうね。
ちなみに荷風が二人に盗まれたとする『怪夢録』とする作品は「夢の中で出てきたお
化けのお話」と荷風は書いていますが、実際は『四畳半襖の下張り』の手書き原稿だっ
たそうです。荷風はさすがに言えず格好を付けている。
猪場毅は若くして荷風より先に死んでしまいましたが(実際はいい人だったらしい)、
平井程一氏は秋庭太郎氏によると「昭和51年5月19日、千葉県富津市小久保の寓
居において心筋梗塞のため没した」とのこと。行年76歳。秋庭太郎の『荷風外伝』
にありました。秋庭太郎氏は荷風急逝後まもなく神田のうなぎ屋の座敷で平井程一と
会食し、その際平井氏は「荷風は色の聖でした」と感慨深げに述懐されたと書いてい
ます。この人も実際はいい人だったようです。荷風も自分の色紙を偽作されるぐらい
は気にしていなかったようですが、手書き原稿の件ではさすがに頭に来たらしい。
--
余丁町散人 naoyuki_hashimoto@mac.com
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Re: 来訪者
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) Re: 来訪者
グループ(Newsgroups) fj.books
投稿日(Date) Fri, 09 Nov 2001 11:53:36 +0900
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From: hisadome@lares.dti.ne.jp (HISADOME, Kenji)
Date: Wed, 07 Nov 2001 14:13:17 GMT
Message-ID: <1kbG7.12$Nr5.2320@newsall.dti.ne.jp>
> 私は荷風本人よりはその弟子(平井呈一、正岡容)や孫弟子(荒俣宏、
> 都筑道夫など)に興味を持っており、その興味の延長で師匠筋である
> 永井荷風の作品を読み始めたという経緯がありますので、どうしても
> 周辺に話が行ってしまう傾向がある事を、あらかじめ申し上げておき
> ます。

「孫弟子の荒俣宏」ときいて思い出しました。以前買ったのだけどどっかに紛れ込ん
でしまった本に『大都会隠居術』荒俣宏編著(知恵の森文庫)がありました。苦労し
て探すとありましたね。荷風と平井程一の記述が。紀田順一郎の『略して記ざず』の
平井程一論をほぼ全文(?)引用しながら詳しく論じています。荷風とのやりとり、
平井程一のその後の生活、奥さんと愛人のその後も含めて書いていますので、参考に
なると思いますよ。
(荒俣は「平井呈一」と筆名でリファーしてますが紀田は「平井程一」と本名で書い
ています。散人はどっちでもいいんですけど、取り敢えず『来訪者』の話と言うこと
で「平井程一」と本名を使わせてください)
この件に限らず、人間と人間のつながりを調べていくと本当に面白いですね。時間が
いくらあっても足らなそう。いま日経新聞に桂米朝の「私の履歴書」が連載されてい
ますが、きのうのコラムに正岡容の記述もありました。「学生時代には正岡容にあこ
がれたが、次第に物足りなくなって・・・」意外とあっさりと書いていました。「師
匠だったのだろうが、この恩知らず!」っとちょっと白けましたが。
> 平井呈一は中菱一夫名義で「真夜中の檻」「エイプリル・フール」と
> 二篇の小説を遺しています。この中で、「真夜中の檻」は泉鏡花風と
> 言ってもおかしくないでしょう。
> 東雅夫は創元文庫版『真夜中の檻』の解説「Lonely Water - 平井呈一
> とその時代」において、
> “『真夜中の檻』は、「来訪者」に対する呈一の回答もしくは逆襲だ
> ったのかもしれない”と述べています。
平井程一は小説も書いて居られたのですか。一度読んでみます。荷風が『来訪者』の
なかで「お化け」の話をするのは平井程一の影響だったのかもしれないですね。あの
夢の中のお化けのお話は、鏡花の『草迷宮』にでてくる猫の死骸の話を何となく連想
してしまいます。荷風も平井ともっと付き合っていたら「怪奇小説」を書いたかも知
れない。
> >> それにしても HISADOME さんはどうして平井に興味があるのですか。
>
> 若い頃から平井呈一による英米小説の邦訳に親しんできましたので。
> H・P・ラヴクラフト、アーサー・マッケン、ラフカディオ・ハーン、
> J・S・レ・ファニュ、ブラム・ストーカー、M・R・ジェイムズ、
> デニス・ホイートリー、W・デ・ラ・メア、シンシア・アスキス等々。
> エラリイ・クイーンの「Yの悲劇」も、最初に読んだのは講談社文庫
> の平井呈一訳でした。
平井程一とは死ぬまで和服で通した純江戸風の人とききますが、最初は早稲田で英文
学を勉強しただけあって仕事はハイカラですね。小泉八雲の翻訳はわかりますけど。
ひょっとしたら趣味は趣味、仕事は仕事と明確に分けていたのかも知れない。
> 当時は荷風との関係は知りませんでしたが、例えばアーサー・マッケン
> の「怪奇クラブ」の解説において荷風の「日和下駄」などを引き合いに
> 出すなど、しばしば荷風に言及している事には気付いていました。
> 「来訪者」に描かれたように、平井呈一は不幸な形で荷風と袂を分かつ
> 事になったわけですが、その作品に対する敬愛は終生変わらなかったの
> でしょう。
『大都会隠居術』では、荒俣宏、紀田順一郎ともに、平井の名誉回復のために鋭く荷
風の平井に対する仕打ちを非難しています(自分のことだったら許せるが師匠と仰ぐ
人に対する不当な仕打ちは許せないと言うのが彼らの心情のようです)。それなりに
理解できます。荷風というのは個人的にはとんでもない人間で、愚生も個人的にはお
付き合いしたくない(したいのだがとても身が持たない)と思います。でも、荷風と
平井の実際の関係はどうだったのかなあ。
荷風も平井も、実際は「あまり気にしていなかった」という感じがします。平井にし
ても「平井呈一」と筆名は実名をほとんど変えることなく使っているのは、スキャン
ダルを気にしていなかった証拠でもあるし、晩年、秋庭太郎に対して荷風のことを懐
かしげに感慨深く話したと言います。
荷風の『来訪者』にしても筆誅と言うより「面白いお話」という面がある様な気がし
ます。主人公の白井が阿部定みたいな未亡人に捕まって逃げ回るのも「滑稽話」とい
うのりで書いているし、最後は阿部定みたいな未亡人は車にはねられて死んでしまう
ので、白井は「助かった」というハッピーエンドじゃないですか。
ただ『四畳半襖の下張り』原稿流出事件は、荷風にとって深刻だったはず。荷風は
『フランス物語』発禁処分では大変苦労しているし、幸徳秋水が引き立てられていく
ところの目撃者でもあって、官憲の暴力に対する体験からくる強い恐怖心があったの
ですから。
でも荷風は本当は平井のことを最後まで懐かしがっていたんではないかなあ。『来訪
者』のエンディングに「白井と木場の二人も召集か、または徴用でもされて、偽書を
つくる暇がないようになったのだろう」とありますが、このくだりに荷風の二人に対
する「未練」を強く感じるのは愚生一人だけでしょうか。
--
余丁町散人 naoyuki_hashimoto@mac.com
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Re: 来訪者
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) Re: 来訪者
グループ(Newsgroups) fj.books
投稿日(Date) Sat, 10 Nov 2001 11:33:43 +0900
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MUTO,Masa at muto-masa@nospam.nifty.com wrote on 2001.11.10 2:56 AM:
> 荷風はモデルとなった平井氏に、目をお覚ましなさい、といいたかったんでしょう
> ね。
> この作品を書いた当時、平井氏が「文壇もこの時代より漸次(読みが”ざんじ”では
> なく”ぜんじ”だったと知りました)に沈滞し腐敗して来た」「文学が商業と化し
> た」という状況に甘んじて染まってしまったように、荷風には見えたのでしょう。
> そんな平井氏に、自分らしかった自分を思い出しなさいよ、というのがこの作品だっ
> たように思います。
> 荷風は平井氏に対し、悪意よりも情愛の感が強かったのではないでしょうか。
うーん、そうかも知れないけど、荷風はそんな道徳人ではなかった様な気がする。平
井と猪場とウマがあったのは、三人ともいいかげんで反社会的だったからの様にも思
えるの。荷風の偽筆で平井が色紙なんか書くのは荷風は許していたらしい(高いお金
を出して買う田舎者を一緒になって笑っていたところもある。蜀山人とその弟子も同
じことをしていたらしく、荷風はそれを粋だと思っていた)。要は悪仲間だったんで
すよ。だからこそ荷風は、腹を立てながら、二人を懐かしがっていたんじゃないかし
ら。
でも時代はせちがらくなっていて、恒産のある荷風はともかく、平井や猪場は、荷風
がいうような「趣味的な文人」をしていたのでは家族を養えない時代となっている。
荷風は「文学で飯を食おうとするのは大馬鹿者だ」と公言していたのだけど、だった
ら貧乏人は文学をしては駄目って言うこと?、と菊池寛なんかからすごい反感を買っ
ていた。荷風はやっぱりアナクロだったんですね。そのアナクロを門人に押しつけた
から無理が生じたのだと思う。やはり荷風は一人でやる人なのです。
> 例を挙げれば「白井が英文学のみならず、江戸文学も相応に理解して居るが上に、殊
> に筆礼を能くする事に於いては、現代の文士には絶えて見ることを得ないところであ
> りながらそれにも係らず其名の世に顕れない事について、更に悲しむ様子憤る様子
> もないのを見て、わたくしは心窃に驚歎していた」と書いてあったり、畏友と酷似し
> ている、などと評価している点などからも、そう思えました。
そう、荷風はそんな人を尊敬したのです。竹馬の友の親友の井上唖唖子が、そんなラ
イフスタイルを続け最後は本当にお金がなくて困窮して死んでしまうのだけど、荷風
は「あいつはえらいやつだ」と尊敬するだけでいっさい金銭的な援助なぞしないのね。
逆に一緒にやっていた雑誌の「文明」なんか(井上はそれで飯を食っていたのに)平
気で廃刊にしてしまう。このへんわれわれ凡人には理解できないところ。「大荷風」
としか言いようがないのです。
>
> 『来訪者』というタイトルについてですが、これは、自ら(荷風)には責任のない出
> 来事、という意味が込められていると思います。
> ある日向こうからやってきて、ある日勝手に去っていった、そういいたい荷風の気持
> ちが『来訪者』というタイトルに現れているように読めました。
> 作品だけ読めば『来訪者』というタイトルより『蛇の足跡』とでもした方がしっくり
> とくるような読後感でした。
最初は別のタイトルが付いていたように記憶します。出版時に『来訪者』としたのだっ
たかしら。でもいいタイトルだと思いますよ。生涯親しい友人を持たなかった荷風の
ところに60歳を過ぎてから急に素晴らしい友人が現れた、でもやっぱり去っていっ
てしまった、あたかも来客のように来て去った、と荷風は言いたかったんでしょうね。
去っていってしまった理由は、多分に荷風にあるのですが、これは荷風に分かれといっ
ても無理な話かな。
--
余丁町散人 naoyuki_hashimoto@mac.com
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Re: 来訪者
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) Re: 来訪者
グループ(Newsgroups) fj.books
投稿日(Date) Sat, 10 Nov 2001 11:59:13 +0900
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HISADOME, Kenji at hisadome@lares.dti.ne.jp wrote on 2001.11.10 12:32 AM:
> 記事での,
> 余丁町散人 さんの次の記述に関して:
>>> いま日経新聞に桂米朝の「私の履歴書」が連載されてい
>>> ますが、きのうのコラムに正岡容の記述もありました。「学生時代には正岡容にあこ
>>> がれたが、次第に物足りなくなって・・・」意外とあっさりと書いていました。「師
>>> 匠だったのだろうが、この恩知らず!」っとちょっと白けましたが。
>
> 物足りなさを感じるというのは正直な感想だと思いますよ。種村季弘が
> 『書物漫遊記』所収の「逃げた浅草」という一文で指摘しているように、
> 正岡容はマイナーポエットであり、その作品の魅力と「物足りなさ」と
> は表裏一体のものだと思うのです。
今日の「私の履歴書」では米朝は正岡のことを「師匠」といって立ててますね。
荷風と落語なのですが、荷風は若いときに噺家になりたくって弟子入りまでするので
すが(すぐ連れ戻されて自宅に軟禁されてしまう)、あまり作品に落語のにおいがし
ないような気がするのですが、如何でしょう。漱石なんかでは、落語臭がぷんぷんす
るのに不思議な気がします。荷風はどっかに落語のネタなんか使ってますかしら。
もっとも『妾宅』『おかめ笹』なんかは話自体の展開が落語とも言えますが、文章と
して落語的なところがないような気がします。そういう目で読まないからかしら。
>>> 平井程一とは死ぬまで和服で通した純江戸風の人とききますが、最初は早稲田で英文
>>> 学を勉強しただけあって仕事はハイカラですね。小泉八雲の翻訳はわかりますけど。
>>> ひょっとしたら趣味は趣味、仕事は仕事と明確に分けていたのかも知れない。
>
> 推理小説の翻訳などは「仕事」と割り切っていたのかもしれませんが、
> マッケンなどは心底好きだったようです。牧神社から『アーサー・マッ
> ケン作品集成』全六巻を刊行したのですが、訳文・解説ともに文章から
> 愛情が感じられます。H・P・ラヴクラフト(平井自身が訳したのは、
> 「アウトサイダー」1作だけですが)もある意味ではマッケンの後継者
> だったわけですし。
>
> 最晩年の訳業であるアンソロジー『こわい話・気味のわるい話』(文庫
> 版題名は『恐怖の愉しみ』)は、“これはと思って感銘を受けた作品を、
> ぼちぼち暇にまかせて楽しみながら訳し”たものだそうです。
アーサー・マッケンという人は興味深い人のようですね。散人も「変人」は大好き。
一度読んでみよう。おすすめは何でしょう?
>
>>> 荷風も平井も、実際は「あまり気にしていなかった」という感じがします。平井にし
>>> ても「平井呈一」と筆名は実名をほとんど変えることなく使っているのは、スキャン
>>> ダルを気にしていなかった証拠でもあるし、晩年、秋庭太郎に対して荷風のことを懐
>>> かしげに感慨深く話したと言います。
>
> 由良君美がインタビュー「回想の平井呈一」(「幻想文学」3号掲載)
> で述べているのですが、平井は「来訪者」のフィクションの部分を指摘
> した上で、“でもそうしなきゃ面白くないよね”とあっさり話していた
> そうです。
>
> 荒俣宏の『綺書自慢 紙の極楽』所収の「ぼくのお師匠さんのこと」を
> 読んでも、平井が荷風について恨み言を言った様子は見当たりません。
>
> 由良君美にしても荒俣宏にしても、事件からかなりの年月を経てからの
> 交遊であり、当時の生々しさは既に薄れていたせいもあるのでしょうが。
>
>>> でも荷風は本当は平井のことを最後まで懐かしがっていたんではないかなあ。『来訪
>>> 者』のエンディングに「白井と木場の二人も召集か、または徴用でもされて、偽書を
>>> つくる暇がないようになったのだろう」とありますが、このくだりに荷風の二人に対
>>> する「未練」を強く感じるのは愚生一人だけでしょうか。
>
> 正岡容の『荷風前後』に、荷風から「来訪者」の主人公について聞いた
> 箇所があるのですが、白井と木場を芝居の登場人物になぞらえて話して
> いたようなんですね。本当に嫌っていたのなら、そういう洒落のめした
> 表現はしなかっただろうと思います。
>
やっぱり三人は「悪仲間」だったんですよ。奇妙な同類意識があって。その点、佐藤
春夫とかは、やたらに権威主義の固まりで、やっぱり荷風とは違う人種だなと感じま
す。佐藤春夫の『小説永井荷風』なんか、久保田万太郎に対するライバル意識丸出し
の嫌な文章ですね。「われこそが荷風の弟子ナンバーワンだ、にもかかわらず久保田
は生意気にも」と嫌みばかり。佐藤とか久保田にとっては荷風との関係は文壇の自分
の地位を意味するものだけであったような気がします。平井程一と猪場毅の方が、は
るかに清々しい。
--
余丁町散人 naoyuki_hashimoto@mac.com
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Re: 荷風全集18
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) Re: 荷風全集18
グループ(Newsgroups) fj.books
投稿日(Date) Thu, 15 Nov 2001 08:16:02 +0900
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HISADOME, Kenji at hisadome@lares.dti.ne.jp wrote on 2001.11.14 9:26 PM:
> 余丁町散人 さんの次の記述に関して:
>>> しるしと言えば、荷風の断腸亭日乗の日付の上に「・」の記号がときどき出てくるの
>>> ですが、この意味はご本人が最後まで何の意味かは言わなかったので、いまだに「意
>>> 味不明」のままになっています。憶測はいろいろ出来るのですが・・・。
>
> 澁澤龍彦が『思考の紋章学』所収の「ウィタ・セクスアリス」において
> 『断腸亭日乗』の「・」の記号について考察していました。
知らなかったです。さすがは澁澤龍彦。その考察に興味があります。「差し障りのな
い範囲で」ちょっとだけでもお教えいただけますか。
--
余丁町散人 naoyuki_hashimoto@mac.com
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Re: 断腸亭日乗の記号 (Re: 荷風全集1 8)
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) Re: 断腸亭日乗の記号 (Re: 荷風全集1 8)
グループ(Newsgroups) fj.books
投稿日(Date) Fri, 16 Nov 2001 07:20:51 +0900
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HISADOME, Kenji at hisadome@lares.dti.ne.jp wrote on 2001.11.15 11:23 PM:
> 「ウィタ・セクスアリス」という題名に示されたように、“広い範囲に
> わたる性的体験”だろうと推測しています。もっとも、これは澁澤龍彦
> の独創的な意見ではなく、秋葉太郎『考証永井荷風』から「艶福にかゝ
> はる日」という見解を引用していますが。
> 澁澤龍彦氏、「女子大の卒業論文じゃあるまいし」などと言いながらも、
> 楽しそうに「・」の出没を調べています。

有り難うございました。「広い範囲にわたる」というのがみそですね。秋庭太郎の表
現よりより具体的(?)で面白いです。澁澤龍彦でなくとも(われわれ凡人にとって
も)『断腸亭日乗』をいろいろ詮索することはとても「楽しい」。
> 『思考の紋章学』は、数多い澁澤の著作の中で、私が最も愛読している
> 1冊です。柳田國男の『遠野物語』の中の1話と泉鏡花の『草迷宮』を
> 論じた「ランプの廻転」、上田秋成の『雨月物語』と石川淳の『新釈・
> 雨月物語』の「夢応の鯉魚」を比較した「夢について」等々。
>
澁澤龍彦は磯田光一と親しかったようですね。「穴ノアル肉体ノコト」(昭和62年)
の最後を澁澤は次のように結んでいます。
「いま読みかえしてみたところだが、この私の文章、さきごろ亡くなった磯田光一に
ぜひ読んでもらいたかった。ぜひ読ませたかった。磯田は私のこういう種類の文章を、
つねづねもっとも好んで読んでくれた批評家だったからである。磯田が死んで、私は
百万の読者を失ったような気がしている。」
磯田光一といえば永井荷風の熱心な理解者。こういう面からも澁澤龍彦と永井荷風は
つながっているのかもしれないですね。
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余丁町散人 naoyuki_hashimoto@mac.com
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Re: 日和下駄
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) Re: 日和下駄
グループ(Newsgroups) fj.books
投稿日(Date) Sun, 18 Nov 2001 11:38:16 +0900
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余丁町散人 at naoyuki_hashimoto@mac.com wrote on 2001.11.14 4:59 PM:
> まず馬鹿馬鹿しいお話から。
続いて高尚な文学ではなく、俗っぽい「お金」のお話を。
以前『日和下駄』を読んだときからちょっと気になっていた表現がありました。『日
和下駄』の第一章。荷風が自分のぶらぶら歩き趣味をフランスのヂレッタンチズムと
較べるくだりですが、引用します。
「仏蘭西の小説を読むとよく落ちぶれた貴族の果てか何かで、先祖が残した僅少の遺
産にやっとの事自分の身一つだけその日の衣食に事欠かぬ代わり、浮世の楽を余所に
人交わりも出来ず、一生涯を果敢なく淋しく無為無能に送る人の心の中を描いたもの
がある。・・・・・・私の境遇はそれとは全く違う。然しその行為とその感慨とはほ
ぼ同じであろう。」
気になっていたのは「私の境遇はそれとは全く違う」という言葉です。荷風といえば
資産家の長男で遊んで暮らした人というイメージがあります。それで荷風はみんなの
嫉妬を買って、貧乏で苦しんだ啄木なんかには荷風は口汚く罵倒されるのですが、こ
こでは荷風は「私の境遇はそれとは全く違う」と言い切っています。
これはちょっと理解できないことなので、これはまた荷風一流のポーズか、世間体を
考えての謙遜かと思っていたのですが、今回読み直してみてはっと気が付いたことが
ありました。『日和下駄』の書かれた時期です。大正3年の夏にこのくだりが書かれ
ているのです。
これがどういう意味を持つか、時系列に整理しますと:
大正2年1月、荷風の父が没す。荷風は長男として家屋敷を相続。
大正3年夏、『日和下駄』第一章を書く
大正5年3月、入江公爵に余丁町の地所半分(500坪)を売却、慶應義塾辞職
大正7年12月、余丁町の家屋敷(残り)を2万6000円で売却
つまり『日和下駄』が書かれたときは荷風は父親から家屋敷は相続していたのですが、
それ以外はあまり持っていなかった。金融資産は(荷風の基準では)十分ではなかっ
た、ということではないでしょうか。すくなくとも遊んで暮らせるだけの金融資産で
はなかったと言うことのようです。荷風が「ランティエ」のステータスを獲得し、わ
れわれがイメージに持っている「荷風」が誕生するのは余丁町の地所を売却してから
のようなのです。
荷風が家屋敷の他にどれだけの金融資産を父親から相続したのかは明らかになってい
ませんが、お母さんが「暮らしに不自由しない」だけの自分名義の株券を持っていた
のは事実のようです(これは父親が生前に自分の株券の名義書換をしたものでしょう。
それが結局は弟威三郎に行った)。
父親の死に目にも芸者と遊んでいて遅刻した放蕩息子荷風に対して親族一同が烈火の
如く腹を立てたとされていますので、父親の遺産も長男としての面目を保つための家
屋敷の他は、ほとんど何も残されなかった(父親名義の株券も死後親族が母親の名義
に名義変更した)というのがあり得る話ではないでしょうか。荷風にしてみれば家屋
敷なぞはお金がかかるだけの存在でしかなかったわけで、大学教授の給料だけでは維
持も大変だったと思われます。それなのに荷風は「遺産を独り占めした」なぞいまだ
に言われていますが、とても可哀想。
この遺産相続がらみのもめ事が、荷風と弟威三郎、さらには母親との冷たい関係に結
びついたと考えれば、なんとなく解ってくることがたくさんあるように思います。荷
風が母親の葬式に行かなかったという悲劇もすこしは理解しやすくなります。仮説の
段階ではありますが、愚生にとっては新発見でした。
ともあれ荷風は家屋敷を売却することで『日和下駄』執筆当時から強くあこがれてい
た「仏蘭西の貧乏貴族」のようなステータスをはじめて手に入れることになります。
ちなみに当時の1円とは今の5000円に相当するとのことで、地所売却代金2万6
000円は今の1億3000万円になります。もと日銀調査部長で荷風ファンでもあ
る吉野俊彦氏によれば、大正3年から日本の土地バブルが始まり、大正9年にはバブ
ルが崩壊したので、荷風の余丁町の土地売却(そして偏奇館の借地契約)のタイミン
グの絶妙さは「玄人はだしといっても過言ではない」とのことです。
文学も「お金」を絡めて読むとまた別のおもしろさがあります。
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余丁町散人 naoyuki_hashimoto@mac.com
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Re: 来訪者
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) Re: 来訪者
グループ(Newsgroups) fj.books
投稿日(Date) Sun, 18 Nov 2001 11:51:08 +0900
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参照記事(References)
<9s96fh$1vv$1@news511.nifty.com>

<9sar9c$1oq$1@news511.nifty.com>


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余丁町散人 at naoyuki_hashimoto@mac.com wrote on 2001.11.10 11:33 AM:
> そう、荷風はそんな人を尊敬したのです。竹馬の友の親友の井上唖唖子が、そんなラ
> イフスタイルを続け最後は本当にお金がなくて困窮して死んでしまうのだけど、荷風
> は「あいつはえらいやつだ」と尊敬するだけでいっさい金銭的な援助なぞしないのね。
> 逆に一緒にやっていた雑誌の「文明」なんか(井上はそれで飯を食っていたのに)平
> 気で廃刊にしてしまう。このへんわれわれ凡人には理解できないところ。「大荷風」
> としか言いようがないのです。
荷風が井上とやっていた雑誌を「文明」と書きましたが、「花月」の誤りです。訂正
します。
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余丁町散人 naoyuki_hashimoto@mac.com
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Re: 日和下駄
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) Re: 日和下駄
グループ(Newsgroups) fj.books
投稿日(Date) Sun, 18 Nov 2001 12:00:53 +0900
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参照記事(References) <9ssol5$37g$2@news512.nifty.com>


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HISADOME, Kenji at hisadome@lares.dti.ne.jp wrote on 2001.11.18 12:39 AM:
> 切り口はいくらでも有ると思っていたんだけど、読み始めると荷風の
> 文章の素晴らしさを堪能するだけでいつしか読了してしまってる。
> 言い出しっぺとしては、弱ったな。
本当に荷風の文章には「うっとり」しますね。やはり荷風には文語調が似合うみたい。
文章というのは「気取って書くものだ」とは丸谷才一でしたかしら。荷風はその「気
取った」文章だけでも(内容は別にしても)「人をうならせる」技術を自分のものと
していたと思いますが、この辺の技術はどこで学んだのでしょうね。
--
余丁町散人 naoyuki_hashimoto@mac.com
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Re: 日和下駄
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) Re: 日和下駄
グループ(Newsgroups) fj.books
投稿日(Date) Sun, 18 Nov 2001 12:38:49 +0900
記事ID(Message-ID)
参照記事(References) <9ssol5$37g$2@news512.nifty.com>

<3BF70CA6.2C3F947C@jrcat.or.jp>

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Wataru Mizutani at mizutani@jrcat.or.jp wrote on 2001.11.18 10:19 AM:
>
> 「第五 寺」では、建築と風土の調和をうたい古き奈良京都を讃え、建築
> 行政をうれいていますが、まあ、奈良京都だってもとはといえば中国から
> の外来様式であって、日本の本来の風土とかなり違和感があると思う
> (というオチのショートショートを読んだことがあって、それ以来古都を見
> る目が変わったのですが)まあ、それはさておき、
星新一でしたかしら。森陰から古墳時代風の爺さんが建築中の「(あおによし奈良の
都の)赤と緑の毒々しい建築群」を眺めてはらはらと涙を流すというお話を覚えてい
ます。荷風も基本的にはあの爺さんと同じですね。
> 「近頃四谷見附内に新築された大きな赤い耶蘇の学校の建築をば心の
> 底から憎まねばならぬ。」
>
> と不調和な建築の筆頭にあげられているのは上智大学らしいですね。
> ちっちゃくてかわいいキャンパスなんだけどなあ。
いまとなっては「かわいいキャンパス」なのですが、当時は違和感があったのだと思
います。赤坂離宮まわりの並木にも文句を付けていますね。きのうまでのNHKBS
ドラマ「お登勢」を見ていましたが、明治時代というのはとんでもない「破壊の時代」
だったことを実感しました。旧幕時代の御家人は、明治になって生活が「悲惨」その
ものとなったようです。娘を売るとか。荷風は経済的には明治維新の受益者ではある
のですが、心情的には江戸人だったから、明治の表面的な似非「近代化」を憎んだの
でしょうね。漱石にも同じ傾向があります。
西欧化を嫌ったというのではなく、変化の過程での「中途半端さ」、実力以上の「背
伸び」を憎んだのだと思います。通り抜けなければならない過程ではあるのですが、
たまたまそういう時代に生まれた荷風は不幸でした。
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余丁町散人 naoyuki_hashimoto@mac.com
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Re: 日和下駄
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) Re: 日和下駄
グループ(Newsgroups) fj.books
投稿日(Date) Sun, 18 Nov 2001 19:01:15 +0900
記事ID(Message-ID)
参照記事(References) <9ssol5$37g$2@news512.nifty.com>



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余丁町散人 at naoyuki_hashimoto@mac.com wrote on 2001.11.18 11:38 AM:
>> まず馬鹿馬鹿しいお話から。
>
> 続いて高尚な文学ではなく、俗っぽい「お金」のお話を。
次は植物のお話。荷風が子供の時に下で休んだという「榎」の検証です。
『日和下駄』の第一章の始めに「市中の散歩は子供の時から好きであった」として荷
風が十三四の頃学校に通う途中の、竹橋から代官町、半蔵門に至る間の風物の描写が
あります。この辺から眺める風景は「東京中での絶景といわねばならない」と誉めて
いるところですが、ここで荷風が「土手の上に昇って大榎の木陰からお堀を越して五
番町の通りの方を眺めながら休んだ」と書いています。果たしてこの榎は現在もまだ
残っているか、という疑問です。
今日の午後、ちょうど竹橋の公文書館に展示を見に行ったついでに、このあたりを散
歩し実地検分をしてみました。高速道路の入り口なんかが出来たので、多分何も残っ
ていないだろうと思って行ったのですが、荷風がその下で休んだという榎は実に残っ
ていました! 驚きです。
荷風は「宮内省の裏門の筋向兵営となっている田安家旧邸の横手に当たって、その後
ろはお堀になっている土手の上に大きな榎があった」と書いていますが、宮内省の裏
門とは乾門のこと、筋向かいの兵営とは今の国立近代美術館工芸館(旧近衛連隊本部)
のことです。荷風が書いているとおりに、工芸館前の歩道橋を渡ると、千鳥が淵沿い
の土手に昇る細い登り道がありますので、そこを昇って土手の上を10メートルぐら
い行くと、本当に巨大な榎の老木が一本立っているではありませんか。
幹が相当古めいていますので樹齢150年と推測しました。荷風が子供の時(明治2
0年前後)でも既に大きな榎であったと思われます。この榎の下から見る千鳥が淵、
番町の風景は今でも絶景でありました。もう感激。
『日和下駄』は、現在においても東京散策の良いガイドブックになりそうです。
取り急ぎご報告まで。
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余丁町散人 naoyuki_hashimoto@mac.com
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ふらんす物語
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投稿者(From) 余丁町散人
件名(Subject) ふらんす物語
グループ(Newsgroups) fj.books
投稿日(Date) Tue, 20 Nov 2001 08:11:31 +0900
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参照記事(References) <9ssol5$37g$2@news512.nifty.com>

<3BF70CA6.2C3F947C@jrcat.or.jp>
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Wataru Mizutani at mizutani@jrcat.or.jp wrote on 2001.11.18 10:19 AM:
> 荷風は『フランス物語』を読んで感傷的すぎて「ひとり旅」を除けば
> うんざりだったのすが、
『すらんす物語』の話が出たので、ひとつだけ。
愚生も読み物としては『ふらんす物語』より『あめりか物語』のほうが楽しめると思
いますが、『ふらんす物語』ですごく印象に残っている部分があります。(変な話な
のですが)日本駐在員たちの支店長公邸での会話です。今も昔もまるでうんざりする
ように同じことを話している。駐在員手当の不平、社内の人事関係のこと、駐在年数
を競いあうこと、本社の動向を噂すること、現地社会への屈折した見栄等々、あれは
今も変わらない日本のサラリーマン社会そのものでもあります。あそこまで鋭く観察
した荷風は、やはり稀代の批評家であったと思うな。
『ふらんす物語』が発禁となった理由は、当時の政府はなにも説明しませんでしたが、
日本の企業の駐在員や外交官の生活実態を赤裸々に書きすぎたためと考えられていま
す。愚生も同感です。
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余丁町散人 naoyuki_hashimoto@mac.com
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 ________________________________________________________________ Copyright 2000 Naoyuki Hashimoto. 

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